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Wednesday, August 7, 2013
バナナの日
今日はバナナの日らしいです。
おなかの調子が悪くなりがちなヤギは、本当はバナナを毎日食べないといけない。でも、ヤギは熟したバナナが好きじゃない。まだ青くて「シャリッ」としたのならいいけど、黄色くなったのはちょっと食感がむりです。
なので、冷凍してます。
味は好きなので、冷凍にすることによって熟したバナナも「シャリッ」となって、いい感じになります。熟したほうが栄養的にもいいので、凍らせるのがヤギのお気に入りです。
バナナで思い出すのは、昔コンクールの待合室に並んでいたバナナ。お子様向けのコンクールだったので、やさしい雰囲気で飲み物・おやつが用意されていた。今から振り返ってみると、どんだけ甘やかしていたコンクールなんだ(笑)。
緊張する場でバナナを食べると気持ちが落ち着くというのはよく聞かされました。確かにみんなオーディションや演奏の試験の前は廊下でバナナを食べていた。
熟したバナナは糖分とビタミンなどのバランスが優れていて、直接脳にいい影響を与えると、昔トリビアの泉で言っていた。学校の生徒たちを2グループに分けて(学力のバランスを考えた上で)、両方に同じテストを受けさせた。片方のグループにはテスト前にバナナを食べさせて、もう片方には何もしないで受けさせたら、バナナグループのほうが平均成績が高かった実験があった。
おなかのためにも(脳のためにも??)ヤギは冷凍バナナを食べるようにします☆
そういえば、昔冷凍バナナを作ろうとした友人が、皮むくのを忘れてそのまま冷凍庫に放り込んでしまって、結局食べられなかったことがあったなぁ。
Friday, June 28, 2013
ヤギさん英語12: I'm running lateで待たされる学生
最近本当によく変な記事を見かけます。今回は、「人を正しているが本人が間違えている」ではなく、「これはこういう意味だよ」と言って間違えている記事。
その記事では:
「I'm running late (私は遅く走っています)」は「約束の時間に遅れそうです」
と紹介しているが、うーん、微妙だなぁ。
Run=走る、ではないのだ。Runとはいろんんだ意味がある。辞書によっては、100個以上の定義をリストするものもある。それだけ「走る」以外の意味があるのだ。たとえば、映画のrunning timeといっても、映画が走っている時って意味なわけがない。
そしてI'm running lateとは、「約束の時間に遅れそうです」という意味ではない。ちかいけど、惜しいというところですね。見ての通り、文章のどこにも「約束」という言葉が無い。
ただ単に、「遅れています」って意味です。雰囲気的には「ずれ込んでいる」に近い使い方が多い。
ヤギが一番よくI'm running lateと聞かされたのは音大時代。Studio(日本のゼミのようなもの)の教授の口癖です。レッスンがいつも遅れていて、学生たちはよく廊下で待たされました。だけど、文句が言えないヤギでした。教授はヤギのレッスンを(なりゆきで)普段から長めにやってくれていたのです。だから、教授にI'm running lateと言われて、ヤギのレッスンがちょっとくらい遅れても納得できることだった。
一度、教授はヤギのレッスンを予告なしに一時間近く延長したことがあった。その日は、ヤギが最後のレッスンだったから本当なら問題ないはずだった。だが、教授は他の 学生と
ヤギのレッスンが終わる時間に会う約束をしていた。その結果、その学生はレッスン室の前で一時間待たされたのだ。
日曜日の夜の出来事だった。教授が一週間ほどout of town (長期おでかけ)になるので、一週間分のレッスンを全部出かける前の土日に詰め込んだのだ。
だから、その待たされた学生は、暗くて、誰もいなくて、ちょっと不気味な日曜日の夜の学校の廊下で一時間待たされたのだ。しかも初々しい新入生だった。
そうやって待たされている時に、教授がドアからぽこっと顔をだしてI'm running lateとだけ伝えた時は、その一年生は「それくらい分かるやい!(涙)」って言い返したかっただろうな。
その記事では:
「I'm running late (私は遅く走っています)」は「約束の時間に遅れそうです」
と紹介しているが、うーん、微妙だなぁ。
Run=走る、ではないのだ。Runとはいろんんだ意味がある。辞書によっては、100個以上の定義をリストするものもある。それだけ「走る」以外の意味があるのだ。たとえば、映画のrunning timeといっても、映画が走っている時って意味なわけがない。
そしてI'm running lateとは、「約束の時間に遅れそうです」という意味ではない。ちかいけど、惜しいというところですね。見ての通り、文章のどこにも「約束」という言葉が無い。
ただ単に、「遅れています」って意味です。雰囲気的には「ずれ込んでいる」に近い使い方が多い。
ヤギが一番よくI'm running lateと聞かされたのは音大時代。Studio(日本のゼミのようなもの)の教授の口癖です。レッスンがいつも遅れていて、学生たちはよく廊下で待たされました。だけど、文句が言えないヤギでした。教授はヤギのレッスンを(なりゆきで)普段から長めにやってくれていたのです。だから、教授にI'm running lateと言われて、ヤギのレッスンがちょっとくらい遅れても納得できることだった。
一度、教授はヤギのレッスンを予告なしに一時間近く延長したことがあった。その日は、ヤギが最後のレッスンだったから本当なら問題ないはずだった。だが、教授は他の 学生と
ヤギのレッスンが終わる時間に会う約束をしていた。その結果、その学生はレッスン室の前で一時間待たされたのだ。
日曜日の夜の出来事だった。教授が一週間ほどout of town (長期おでかけ)になるので、一週間分のレッスンを全部出かける前の土日に詰め込んだのだ。
だから、その待たされた学生は、暗くて、誰もいなくて、ちょっと不気味な日曜日の夜の学校の廊下で一時間待たされたのだ。しかも初々しい新入生だった。
そうやって待たされている時に、教授がドアからぽこっと顔をだしてI'm running lateとだけ伝えた時は、その一年生は「それくらい分かるやい!(涙)」って言い返したかっただろうな。
Tuesday, June 4, 2013
しゃっくりの必殺技:アメリカOR日本?
夕べはちょうど寝ようとベッドに入った瞬間すざましいしゃっくりに襲われた。「あの技」を使って止めようと思い、飲み物を取りに行った。だが結局はしゃっくりが凶暴すぎてその技も使えず、我慢して寝ることにした。
その技とは、コップからさかさまに水を飲むという技だ。コップを普通に手に取り、自分に近いほうのふちでなく遠いほうのふちに口をつけて、前かがみになって飲む。下手すると鼻に入るが、慣れれば大丈夫。
一回、何人かと一緒にいる時にやばいしゃっくりが出たことがある。そして、みんなの前でこの技を披露することになった。そしたら、そのうちの一人が「日本人だからその技使うんだな」的なことを言った。彼は日本人の血が少しは入っていたが、基本的にアメリカ人だった。
「いや、日本人限定だとは聞いたことないが」とヤギは答えた。
彼はどっかの日本人にそのしゃっくりの技を聞いたらしい。ヤギは昔の先生に教わった。レッスンの直前にしゃっくりがでてしまい、この対処法を試させられた。そして止まった。先生は100%白人アメリカ人であって、ウィスコンシンの叔母からこの技を教わったらしい。
ふうん。じゃあ結局ユニバーサルだったと言う事か?
でもまぁ、ヤギ的にはしゃっくりが止まればなんでもいいや☆
(でも夕べはダメだったが…)
その技とは、コップからさかさまに水を飲むという技だ。コップを普通に手に取り、自分に近いほうのふちでなく遠いほうのふちに口をつけて、前かがみになって飲む。下手すると鼻に入るが、慣れれば大丈夫。
一回、何人かと一緒にいる時にやばいしゃっくりが出たことがある。そして、みんなの前でこの技を披露することになった。そしたら、そのうちの一人が「日本人だからその技使うんだな」的なことを言った。彼は日本人の血が少しは入っていたが、基本的にアメリカ人だった。
「いや、日本人限定だとは聞いたことないが」とヤギは答えた。
彼はどっかの日本人にそのしゃっくりの技を聞いたらしい。ヤギは昔の先生に教わった。レッスンの直前にしゃっくりがでてしまい、この対処法を試させられた。そして止まった。先生は100%白人アメリカ人であって、ウィスコンシンの叔母からこの技を教わったらしい。
ふうん。じゃあ結局ユニバーサルだったと言う事か?
でもまぁ、ヤギ的にはしゃっくりが止まればなんでもいいや☆
(でも夕べはダメだったが…)
Tuesday, May 7, 2013
ヒカルの碁、その2
昨日に引き続いて書きます☆
もうひとつのおもたい共通点?
友達。
子供が囲碁を習うんだから、そりゃほかの真剣に囲碁を学んでいる子供たちに出会うさ。そして友達になるさ。だけど、対局の日は?昨日まで一緒に助け合って囲碁を勉強していた仲間たちは、今日は敵です。昨日まで、ずっと敵が上達するのを手助けしていたんだ。
音楽だって同じ。コンクール、オーディションの日になれば、友達はある意味「敵」・「ライバル」になる。とても難しい世界です。
だけどヤギはとくに何も思わなかった。「それはそれ、これはこれ」と、友達だからどう、競いあってるからどう、とか考えなかった。 音楽の世界で何が起きても、一緒にお昼ごはん食べているときは純粋に楽しかった。
でもまぁ、「普通の人だったらどうなんだろ?」と思ったことないわけじゃない。 そもそも「普通の人」って何かもよく考えたらよく分からない。
うーん、難しいなあ。
色々、深く考えすぎないほうがいいこともあるってことかな?
もうひとつのおもたい共通点?
友達。
子供が囲碁を習うんだから、そりゃほかの真剣に囲碁を学んでいる子供たちに出会うさ。そして友達になるさ。だけど、対局の日は?昨日まで一緒に助け合って囲碁を勉強していた仲間たちは、今日は敵です。昨日まで、ずっと敵が上達するのを手助けしていたんだ。
音楽だって同じ。コンクール、オーディションの日になれば、友達はある意味「敵」・「ライバル」になる。とても難しい世界です。
だけどヤギはとくに何も思わなかった。「それはそれ、これはこれ」と、友達だからどう、競いあってるからどう、とか考えなかった。 音楽の世界で何が起きても、一緒にお昼ごはん食べているときは純粋に楽しかった。
でもまぁ、「普通の人だったらどうなんだろ?」と思ったことないわけじゃない。 そもそも「普通の人」って何かもよく考えたらよく分からない。
うーん、難しいなあ。
色々、深く考えすぎないほうがいいこともあるってことかな?
ヒカルの碁、その1
ヤギです☆ちょっとお久しぶりです。
最近、漫画の「ヒカルの碁」いっき読みしてしまいました。
はじめて読んだのは、たしかヤギが10年生(日本の高校一年生)のときでした。それっきり読んでいなかったけど、ここ数日パソコン作業などしている間の待ち時間に、ちらっとだけ見るために一巻を手に取ってしまったところが間違えだった。
「ちらっと一巻だけ見る」なんてヤギには無理だ!!!全部読んじゃうよ!!!
と、とにかく、ヤギさんはいろんな意味で驚きました。 気軽に一巻を手に取り、「あー久しぶりだな」と思いながら嬉しい気持ちで漫画を読み始めた。「そうだ、そうだ、こうだった」とか忘れていたところを思い出したり、ストーリーを知った上で読んでいるからそれなりの新しい楽しみもあった。
その時は夜遅かったので、一巻と、二巻のちょっとを読んでヤギさんはその日は寝ました。
そして朝、目が覚めたとき、なんともいえない気持ちがヤギさんの胸に蘇った。
「そうだ、『ヒカルの碁 』の後半をはじめて読んだとき、こんな気持ちだった」
たしかに後半は、前半にはない悔しさ、悲しさ、懐かしさ、辛さが描かれている。そして、この感情は人間だれもが経験して耐えなければいけない感情だ。べつに普通といえば普通だ。だけどなにが特別かっていうと、「ヒカルの碁」では、この厳しい感情を耐えているのが中学生・高校生(たまに小学生!)であることだ。
ヒカルたちが経験しているこのような感情は、一般的に子供が耐えなければいけない感情ではないとヤギは思う。
タイトルどおり、この漫画は囲碁がテーマのお話だ。ヤギさんは囲碁についてまったく何も知らない。知っていることは漫画から教わったことだけだ。だけどまぁ、小さいときから特訓して、20歳になるまえにはプロになりたいなと考えるような世界だとはヤギさんは分かった。
10年生のヤギが読んだとき、深く考えなかったが、今のヤギはこう思う:
ヒカルの碁にでてくる子供登場人物は、 みんなどこかヤギに似てる。
いえいえ、見た目がヤギっぽいとかじゃないやい!!ちがうちがう!!
ヤギのお誕生日にちょびっと言ったが、ヤギには室内楽の先生がいた。ということはヤギはなにか楽器をやっているということはわかったかな?
そう、ヤギは楽器を学んでいたのです☆
(いや、これは過去形で書くのはよくないかな?)
ま、まぁ、とにかく、ヒカルたちのは囲碁の世界で子供時代を過ごした。ヤギさんが音楽の世界で子供時代を過ごしたように。ヒカルたちにとっての囲碁、ヤギさんにとっての音楽はただの習い事じゃないんです。人生なんです。おもいんです。だからこそ、それなりの苦痛に耐えなければいけない。そのかわり、ほかにはない幸せがあります。
はじめて「ヒカルの碁」を読んだときは、このような共通点はぼんやりとしか伝わってきませんでした。囲碁は囲碁、ヤギには関係ないもん。ただの面白い漫画としか思わなかった。そのわりには、なんておもたい気持ちにさせるんだろう、とは思ったが。
今回読んだ時、ヒカルの悲しさや悔しさが直接こころに響いたり、いろんな登場人物の気持ちがまるでヤギ自身が経験しているかのように感じました。ひとりひとり、なにかしらヤギに似たところがあったりするのが目立ちました。
たしかに囲碁と音楽はまったく違うもの。だけど、子供として何かを必死できわめて、その世界に入り込んで、その世界の住人になることを決意しなきゃいけないのは変わりない。
そして、もうひとつおもたい共通点があるんです。
おっと、ヤギさんまた夜更かししてしまいましたD:
やばいやばい。
続きは、また明日書くね☆
もうひとつのおもたい共通点は、またあした☆
最近、漫画の「ヒカルの碁」いっき読みしてしまいました。
はじめて読んだのは、たしかヤギが10年生(日本の高校一年生)のときでした。それっきり読んでいなかったけど、ここ数日パソコン作業などしている間の待ち時間に、ちらっとだけ見るために一巻を手に取ってしまったところが間違えだった。
「ちらっと一巻だけ見る」なんてヤギには無理だ!!!全部読んじゃうよ!!!
と、とにかく、ヤギさんはいろんな意味で驚きました。 気軽に一巻を手に取り、「あー久しぶりだな」と思いながら嬉しい気持ちで漫画を読み始めた。「そうだ、そうだ、こうだった」とか忘れていたところを思い出したり、ストーリーを知った上で読んでいるからそれなりの新しい楽しみもあった。
その時は夜遅かったので、一巻と、二巻のちょっとを読んでヤギさんはその日は寝ました。
そして朝、目が覚めたとき、なんともいえない気持ちがヤギさんの胸に蘇った。
「そうだ、『ヒカルの碁 』の後半をはじめて読んだとき、こんな気持ちだった」
たしかに後半は、前半にはない悔しさ、悲しさ、懐かしさ、辛さが描かれている。そして、この感情は人間だれもが経験して耐えなければいけない感情だ。べつに普通といえば普通だ。だけどなにが特別かっていうと、「ヒカルの碁」では、この厳しい感情を耐えているのが中学生・高校生(たまに小学生!)であることだ。
ヒカルたちが経験しているこのような感情は、一般的に子供が耐えなければいけない感情ではないとヤギは思う。
タイトルどおり、この漫画は囲碁がテーマのお話だ。ヤギさんは囲碁についてまったく何も知らない。知っていることは漫画から教わったことだけだ。だけどまぁ、小さいときから特訓して、20歳になるまえにはプロになりたいなと考えるような世界だとはヤギさんは分かった。
10年生のヤギが読んだとき、深く考えなかったが、今のヤギはこう思う:
ヒカルの碁にでてくる子供登場人物は、 みんなどこかヤギに似てる。
いえいえ、見た目がヤギっぽいとかじゃないやい!!ちがうちがう!!
ヤギのお誕生日にちょびっと言ったが、ヤギには室内楽の先生がいた。ということはヤギはなにか楽器をやっているということはわかったかな?
そう、ヤギは楽器を学んでいたのです☆
(いや、これは過去形で書くのはよくないかな?)
ま、まぁ、とにかく、ヒカルたちのは囲碁の世界で子供時代を過ごした。ヤギさんが音楽の世界で子供時代を過ごしたように。ヒカルたちにとっての囲碁、ヤギさんにとっての音楽はただの習い事じゃないんです。人生なんです。おもいんです。だからこそ、それなりの苦痛に耐えなければいけない。そのかわり、ほかにはない幸せがあります。
はじめて「ヒカルの碁」を読んだときは、このような共通点はぼんやりとしか伝わってきませんでした。囲碁は囲碁、ヤギには関係ないもん。ただの面白い漫画としか思わなかった。そのわりには、なんておもたい気持ちにさせるんだろう、とは思ったが。
今回読んだ時、ヒカルの悲しさや悔しさが直接こころに響いたり、いろんな登場人物の気持ちがまるでヤギ自身が経験しているかのように感じました。ひとりひとり、なにかしらヤギに似たところがあったりするのが目立ちました。
たしかに囲碁と音楽はまったく違うもの。だけど、子供として何かを必死できわめて、その世界に入り込んで、その世界の住人になることを決意しなきゃいけないのは変わりない。
そして、もうひとつおもたい共通点があるんです。
おっと、ヤギさんまた夜更かししてしまいましたD:
やばいやばい。
続きは、また明日書くね☆
もうひとつのおもたい共通点は、またあした☆
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