Sunday, June 30, 2013

すぷーとにく

「難しかった重ね着が、たったの1秒で作れる!これで夏も安心。」

と書かれた広告を見た。

どうして難しかった重ね着が早業でできるようになったのかヤギは知りたかったが、広告を見ただけでは分からなかった。下のほうに、SPUTNICKSと書いてあった。それは、重ね着が簡単になる洋服を売っているお店・ブランドなのか、早業重ね着選手権大会を主催している企業なのか、なんなのか分からないが名前に興味をもったヤギだった。

SPUTNICKS。Sputnikにとても名前が近い。Sputnikは訳あってヤギはちょっと好きな言葉だ。

9年生(日本の中学3年)の時に、October Sky(オクトーバー・スカイ)を学校の宿題として読んだ。October Skyは日本語では「遠い空の向こうに」となんとも文学的でロマンチックなタイトルらしい。厳密に言うとこれは映画のタイトルであって、小説のほうは何とよばれているかは分からない。

Sputnik 1は1957年の10月4日にソビエトが打ち上げたサテライト(人工衛星)だ。October Skyは、それを見てロケットに興味を持つ高校生たちの話なのだ。

この小説を読んでいる時に、チョロとロケットの話になった。そしたら、チョロはSputnikのことをスプートニクと呼んだ。

すぷーとにく?!

なんとかわゆい呼び名だ!

英語の発音だとスパットニック、スパッtニック、スパッtnッk、となんとも汚い、つばが飛びそうな超アメリカナイズされた発音だ。それと比べてスプートニク。かわゆのう。
(こちらのほうがロシア語に近いのかな?どうなんだろう。)

うんうん。やっぱり「すぷーとにく」のほうがいいよね☆


Friday, June 28, 2013

ヤギさん英語12: I'm running lateで待たされる学生

最近本当によく変な記事を見かけます。今回は、「人を正しているが本人が間違えている」ではなく、「これはこういう意味だよ」と言って間違えている記事。

その記事では:
     「I'm running late (私は遅く走っています)」は「約束の時間に遅れそうです」
と紹介しているが、うーん、微妙だなぁ。

Run=走る、ではないのだ。Runとはいろんんだ意味がある。辞書によっては、100個以上の定義をリストするものもある。それだけ「走る」以外の意味があるのだ。たとえば、映画のrunning timeといっても、映画が走っている時って意味なわけがない。

そしてI'm running lateとは、「約束の時間に遅れそうです」という意味ではない。ちかいけど、惜しいというところですね。見ての通り、文章のどこにも「約束」という言葉が無い。

ただ単に、「遅れています」って意味です。雰囲気的には「ずれ込んでいる」に近い使い方が多い。

ヤギが一番よくI'm running lateと聞かされたのは音大時代。Studio(日本のゼミのようなもの)の教授の口癖です。レッスンがいつも遅れていて、学生たちはよく廊下で待たされました。だけど、文句が言えないヤギでした。教授はヤギのレッスンを(なりゆきで)普段から長めにやってくれていたのです。だから、教授にI'm running lateと言われて、ヤギのレッスンがちょっとくらい遅れても納得できることだった。

一度、教授はヤギのレッスンを予告なしに一時間近く延長したことがあった。その日は、ヤギが最後のレッスンだったから本当なら問題ないはずだった。だが、教授は他の 学生と
ヤギのレッスンが終わる時間に会う約束をしていた。その結果、その学生はレッスン室の前で一時間待たされたのだ。

日曜日の夜の出来事だった。教授が一週間ほどout of town (長期おでかけ)になるので、一週間分のレッスンを全部出かける前の土日に詰め込んだのだ。

だから、その待たされた学生は、暗くて、誰もいなくて、ちょっと不気味な日曜日の夜の学校の廊下で一時間待たされたのだ。しかも初々しい新入生だった。

そうやって待たされている時に、教授がドアからぽこっと顔をだしてI'm running lateとだけ伝えた時は、その一年生は「それくらい分かるやい!(涙)」って言い返したかっただろうな。

Sunday, June 23, 2013

ヤギさん英語、その11:またまた正しながら間違える人々

本当にもう、このような致命的なミスはやめてほしい。グーグルに確認してくれ!!

記事では:
   「彼女はアバズレとい誤ったレッテルを貼られた」を、
   She was falsely lettered a slat.
   
   と書くと、意味が通じない。だから、
   She's falsely labelled/labeled a slat.
   と書きなさい。

との内容だった。

 文字化けもまだ直っていないようだが、結局「レッテル」と言いたい時はletterでなくlabel(レーベル)だ、と書きたかったんでしょう。

問題はその後の単語。Slatとは、細い鉄や木でできた棒のほうなもの。カーテン代わりに使うブランドの横長な棒など。

言いたかったのは、slutではないか。Slutは「品の無い女」よりもっと悪いイメージの言葉。

仮に、letteredと言ってしまっても、普通に考えてfalselyとslutが文章に入っていれば意味は通じるのではないかとヤギは思う。

書いている本人が致命的なミスをしているわけだし、「みんなの英語は間違っている」という記事でなく、「レッテルは英語のletterじゃないよ」と書けばいいではないか。日常で使う日本語はかなり外国語を取り入れているので、どの言葉がどの国からで、何が和製英語かなんて分かりにくくなるのは仕方が無い。


この記事で、二つ関係ない話を思い出す。

読んでいないからなんともいえないが、letterといい「アバズレ」のレッテルといい、ナサニエル・ホーソーンの「緋文字」を連想させる気がしないでもない記事だった。昔、「緋文字」をオペラ化したいと言う友人がいたが、結局どうなったのだろうか...

Letterが通じないという話では、「古畑任三郎」のエピソードを思い出す。オーストラリアのホテルで、夫宛の手紙が来ていないか受付で尋ねている日本人の女の人がいた。なかなか通じなくて困っているところ、古畑任三郎がやってきて、「この女性に手紙は無いか?」とかわりに訊いてあげた。一瞬通じたと思った二人だったが、受付の人は別の従業員を連れてきた。「レイターさんをこの女性のために連れてきて」と頼まれたと勘違いされたらしい。連れてこられた従業員は「ミス・レイター」だったとか。

やっぱり任ちゃんは面白い☆

Friday, June 21, 2013

ジャガイモさん、肝臓さん、そして豚さん

メガポテトの話をして、フレンチフライを食べたくなったヤギ。生のジャガイモを見ると、たまにレバーを思い出すヤギ。それはなぜかと言うと、10年生の時の生物学のラボ(実験)が原因です。

 州によって違うと思うが、ヤギが通っていた高校は州の決めた規則にしたがって、理科の授業は40時間以上のラボを行わないといけなかった。これが無いと学年末の州が主催するテストを受けられない。となると、final exam (学年末テスト)が受けられない。

生物は結構すごいラボが色々あった。最初の頃は、「種から植物を育てるときに、塩をかけるとどうなるか」などかわいい実験ばかりだったが、しばらくするとバクテリアを育てたり、(小さい)豚を解剖したり、わりとグロい系統になってくる。

ちなみに、豚の解剖シーズンが終わる時、もちろんテストはあった。上手に解剖された豚は、テストの出題のために選ばれる。教室のラボ用テーブルを迷路のように並べ、 そのテーブルの上に選ばれた豚たちが置かれる。各豚の前に生徒一人が立つ。見た目は大量生産のアセンブリーラインみたいだ。

目の前の豚をみて、印がつけられている臓器の名前を自分の答案用紙 に書いていくのがテスト。2分おきくらいのペースで先生が合図を出し、次の豚に移り、時間内にその豚の問題を答える。



*実際は絵よりもっと狭くて臭かったです。


3週間くらいホルマリン漬けだった豚たちが、教室にむき出しで並べられているから、結構やばいくらい臭かった。臭いに弱い人は、このテストは厳しかったんじゃないかな。

そして、豚から豚へ次々と回っていくとき、「私の豚さんはどこ?」と考えながら受けるテストも微妙ではあった。ヤギの豚は心臓の問題の豚として選ばれていました☆



まぁとにかく、今日の本題はジャガイモだ。10年生の時にやったラボの中ではエンザイム(酵素)の実験もあった。普通だったらジャガイモを使うところ、うちのクラスはレバーを使った。(理由は、うーん、先生の趣味?)

このラボでは、水を沸騰させるためにいつものBunsen burnerではなく、小さいホットプレートみたいな機械を使った。なぜこのラボに限って?とヤギは思った。もちろんプレートの上でレバーを焼こうとする人は出る。以前そのような生徒がいたため、ヤギたちは始める前にきつく注意を受けた。

先生がスーパーから買ってきたクラス分のレバーは、発泡スチロールのトレイにパンパンにつめこめられていて、押さえつけるようにラップされていた。あの光景はたぶん一生忘れない。

Wednesday, June 19, 2013

マクドナルドのメガポテト

日本のマクドナルドでメガポテトが出るという記事をちょっと前に見た。そして最近、そのメガポテトは原価62円くらいだ、と読んだ。

まぁそのくらいだろうなとは思ったが、それにしても謎だとヤギは思う。$1程度のハンバーガーと比べて、ポテトだけじゃなくチキンナゲットなどのサイドメニューが高い。ピザハットでも、Largeサイズピザがおよそ$10で、22個入りのチキンウィングが$21.消費税入れれば、ウィング1個あたり$1。高い!!

ピザハットのちっちゃいチキンウィング1個=マクドナルドハンバーガー1個
ひどいよなぁ...

それは置いといて、メガポテト。メガポテトの事を知った時、最初に思い出したのが数年前のスーパーサイズ。これはボコボコに叩かれた。映画「スーパーサイズ・ミー」 もあったし、このでかいサイズはなくなった。

 さすがに飲み物でスーパーサイズの量を飲むのは厳しいが(飲み物はリフィルが無料なので、そもそも大きいサイズにあまり意味がない)、ポテトは嬉しかった。もう二度とスーパーサイズはもどってこないのは分かっているが、たまに思い出すと懐かしいヤギです。

そもそも体にいいものでは決してないんだから、スーパーサイズがなくなってよかったのだ。そう考えるしかないヤギでした。

ふむ。フレンチフライが食べたくなった。

Saturday, June 15, 2013

かわいいから選んでしまう

実用的ではあるけど、使いにくかったり、同じ値段でもっと便利なものがあるって分かってても、やっぱり見た目でポイントを稼いでしまう商品はある。



ヤギはこのスタイルのバスケットをずっと狙っていた。だが、木製やプラスティックと違って、汚れたときに簡単にふきふきするわけにはいかない。布っぽいからといって、洗濯機に放り込めない。簡単にほつれる。ほこりを溜め込みそう。悪い点はいくらでもある。


でも 、かわゆい。


で、最近こいつを見かけた。ふた付きだというのがヤギ的には決め手になった。$5.99で購入しました。

肝心なふたも、

なんだか、ただ紐で結んだだけな感じではあるが、ヤギはそれでいいんだ。


かなりちょっと嬉しいヤギでした☆

Thursday, June 13, 2013

短い髪のタオル

このあいだ髪の毛を短く切ったヤギです。今までは、インフォマーシャル(いわゆるテレビショッピングと呼ばれるもの?)で紹介されたような商品、Twisty Towelを使ってました。実際は電話して買ったのではなく、お店で買いましたが、まぁたしかに胡散臭そうではあるが結構便利でした。

ゴムのわっかに 

ここのちょろんを突っ込んでとめて、

普通のタオルを頭に巻くより余分な布が少なく、より頭が軽い状態で髪が乾きます。(タオルと髪が入り組んでくれるため、乾くのも普通のタオルより若干早いです。)


おしりぺんぺん丸さん、モデルになってくれてありがとう!


え?なぜおしりぺんぺん丸と名乗るか?それはこれを見ればお分かりいただけると思います。

















魅力的で立派なおしりなんです☆


話し戻って、Twisty Towelは髪が長ければ長いほど便利なもので、短いと使えません。だからといって、ヤギは濡れた髪の毛が顔にへばりつくのは許せない。そこで、ヤギはこんなものを作りました。


 タオルヘアバンドです。束で売ってるウォッシュクロス(小さい四角いタオル)と古くなったニーハイソックスを改造して作りました。靴下を頭に巻くことには少しは抵抗あったが、まぁ、ゴムとして利用しているだけだから大目に見ることにした。



これは数週間前に作ってから愛用してます。そろそろもうひとつ作ってみようかな


Friday, June 7, 2013

ヤギさん英語その10:無理した英語

たまに、無理して英語を日本語の文章に入れるものを見たり聞いたりする。さっき、「チョイスする」というのを記事で見かけた。

Choice(チョイス) は名詞。動詞はchoose(チューズ)。動詞としてchoiceを使いたければ、to make a choiceになる。でも、それは「選ぶ」というよりも、決断、というニュアンス。

たとえば:You have to make a choice now. We're going to be late.
というと、「今すぐ決めて。遅刻しちゃう」
みたいな文章になる。

とにかく、ヤギが読んだ記事では、無理して「チョイスする」なんて書かないで、「選ぶ」と書けばいいのに、と思ってしまう。無理して英語を変に使うと、使っているうちに慣れてしまって「変」が「普通」になってしまい 、いざという時に間違えてしまいそう。

ある程度の和製英語は仕方がないとは思う。アイスクリームと言うのが長ったらしいと思ってしまったら、ただの「氷」という意味になってしまうが「アイス」と省略したくなるのも分かる。逆に長くする和製英語もある。「キャッチ」でなく「キャッチボール」など。でも、それは「キャッチ」だけだと何をキャッチしているのか分からないからボールを足した、と考えれば理解できる。

中には「コンセント」などどこから来たか若干不明な和製英語(もしかしたら元は英語じゃない?)もある。Consentは同意。どこをどうすれば電気関係の物になるか分からないが、もう日本語として使ってしまっている。アウトレットに変えろ、と言ってもコンセントが日本語の環境では定着している今となったら「別にいいんじゃない?」と思っても当然じゃないかと思う。

でも、「チョイスする」など遠回りしてまでも普通にある日本語の単語を使わないで、わざわざ英語を間違った使い方するのはヤギとしたら微妙です。

え?なになに?ヤギだって「スルー」とか連発するではないか?

いやいやいやいやいや。「スルー」はもはや日本語化した単語です。「スルー」とぴったりあった日本語の言葉は知りません。都合がいいんですよ。スルー。うん。スルーはいいの。

え?言い訳だって?





うん。まぁね☆


 *追加
「コンセント」はconsent から来たのではなく、concentric(コンセントリック)から省略されたと小耳に挟んだ。詳しくはコンセントの歴史に関わるとか。
面白いね☆

Thursday, June 6, 2013

ヤギさん英語、その9: 人を正しながら間違える人々 美しいけどI don't care

昨日、ニコニコニュースを眺めていたら、「美しい人のためのウェブサイト」というような内容の見出しを見た。記事のタイトルの下に最初の数ラインがちょこっと表示されている。そこに、「Beauriful People」と書かれていたのが目に入って、クリックしてしまいました。

「Beautiful people」と書きたかったであろうところが4回あった。その4回中3回Beaurifulになっていた。最後の一回だけ正しかった。

いやぁ、RとTは確かに隣同士だが、あんなに短い記事で3回も間違えるか?

まさか、と思って元となった英語の記事を見てみた。万が一にも「Beauriful」が正しかったりするのか?と考えチェックしてみた。そしたらもちろんBeaurifulなんて一言もなく、Beautifulだった。

ヤギだってタイポはあるが、雑学とはいえニュースの記事として出すんならビューティフルのタイポくらい見つけて欲しかった。スペルチェックで簡単にひっかかるしなぁ。だってさ、日本語の部分は「美じい」みたいにタイポはないんだから、どうして外国語になったとたん、チェックが甘いというか、読み直ししてないようになるんだろう。

美しい人たちは置いとくとして、もうちょっとページをスクロールしたらこんな記事があった。
「どちらでも構いません」と言う時 " I don't care" と言ってしまいそうだが、それは「そんなん、知ったこっちゃねえよ」という意味になってしいまうかも。
のような内容だった。

まぁ、記事にも書いてあったが、I don't careは場合によっては「知ったこっちゃねえ」ほど強い言い方ではないが、基本的に「どうでもいい」と若干なげやり感はある。

そして、It doesn't matter to meのほうが無難だと記事に書いてあるが、実はこれもI don't care よりちょっとましなくらいで、ヤギだったら絶対にすすめない。言葉通り、it doesn't matter to meというと、どう転がっても私には関係ないというニュアンス。これでも気持ちが離れている印象を与える。

だから、伝えたいのは何かと考えよう。伝えたいのは、どっちになっても私はいいよ、ということだ。だったら、(選択肢が二つなら)either is fine、(選択肢が二つ以上なら)any of those would be fine、any of those would workと、ポジティブな方向に文章をもっていくといい感じです。具体的な言葉は状況によるが、「~ではない」より「~である」の言い方のほうが伝わりやすいし悪い印象を与えにくいとヤギは思う。

長々と書いてしまったが、このI don't careの記事でそもそも何が言いたかったか。それは文字化けだ。

I don't careがI don't care

It doesn't matterがIt doesn't matter

日本語サイトではよく見る文字化けだし、たいしたことはないが、「あなたの英語が間違っている」と書いてある記事で自分がやばい文字化けしているという矛盾というかなんというか、ちょっとぐふふでした。しかも、Beauriful peopleを連発したすぐ下の記事だったと。

まぁ同一人物が二つの記事を書いたわけではないだろうが、むこうもプロなんでしょうから、もう少し外国語に対して気をつけてほしいヤギでした。


Wednesday, June 5, 2013

欲しい物と必要な物

欲しいけどいらない、という物は誰にでもある。それで思い出すのは、八年生(日本の中学二年生)の時の社会の先生。ヤギが通っていた学校の八年の社会はアメリカ史パート2(パート1はその前の年)。その授業で、なぜかneedとwantの違いの話が出た。

Needは本当に必要な物。食べ物、最低限の洋服、住む場所、などとなる。まぁ、当たり前のことだ。だけど、英語の日常会話的にどうしても「とても欲しい」と言いたい時に「必要だ」と言ってしまうことがある。

たとえば:
This is such a gorgeous bag. I need to get it.
 (なんて素敵なかばん。買わなくちゃ。)
と、明らかにその日たまたま見つけたかわいいかばんが人間が生きていくうえで必要なわけがないが、「ちょー欲しー」って思ったら、needと言ってしまうんです。

昨日、ヤギは買い物に行った。明らかにいらない物だが、「こいつらの魅力に敵わない、買っちゃえ」となりそうだったがヤギは踏ん張って買わなかった。



かわゆいのう。


Tuesday, June 4, 2013

しゃっくりの必殺技:アメリカOR日本?

夕べはちょうど寝ようとベッドに入った瞬間すざましいしゃっくりに襲われた。「あの技」を使って止めようと思い、飲み物を取りに行った。だが結局はしゃっくりが凶暴すぎてその技も使えず、我慢して寝ることにした。

その技とは、コップからさかさまに水を飲むという技だ。コップを普通に手に取り、自分に近いほうのふちでなく遠いほうのふちに口をつけて、前かがみになって飲む。下手すると鼻に入るが、慣れれば大丈夫。

一回、何人かと一緒にいる時にやばいしゃっくりが出たことがある。そして、みんなの前でこの技を披露することになった。そしたら、そのうちの一人が「日本人だからその技使うんだな」的なことを言った。彼は日本人の血が少しは入っていたが、基本的にアメリカ人だった。

「いや、日本人限定だとは聞いたことないが」とヤギは答えた。

彼はどっかの日本人にそのしゃっくりの技を聞いたらしい。ヤギは昔の先生に教わった。レッスンの直前にしゃっくりがでてしまい、この対処法を試させられた。そして止まった。先生は100%白人アメリカ人であって、ウィスコンシンの叔母からこの技を教わったらしい。

ふうん。じゃあ結局ユニバーサルだったと言う事か?

でもまぁ、ヤギ的にはしゃっくりが止まればなんでもいいや☆
(でも夕べはダメだったが…)

Monday, June 3, 2013

アメリカの純文学

東野圭吾の「さいえんす?」の最後に、古本屋で本を買ったり図書館で読んだりしても、出版会社に利益はなく、その結果作家たちにお金が入らず、いずれは新しい本が出なくなる、という話があった。

うん、確かにそれはそうだ。本のジャンル関係なく、売り上げの儲けで本インダストリーは成り立っている。



アメリカで純文学と ポピュラー文学(?)の違いといえば、もちろん内容的なこともある。たとえば、サイエンス・フィクション、ロマンス、ミステリーは全部ポピュラーのジャンルとなる。純文学はそのようなポピュラー要素はなく、文学的に深い何かがないと「純文学」ではない。

まぁ、漠然と考えれば何が純文学で何がポピュラーかは簡単に分かる。ハリーポッターとグレートギャツビー、どっちがどっちだ、と言ったら分かりやすい。

だけど最近はもっと根本的でさらに客観的な見分け方がある。ポピュラーフィクションは本の売り上げのみを頼りに儲けている。じゃあ純文学はどうやって儲けているかって?

「純文学」を書くのは大学の教授などなのだ(?)。たとえば、教授が小説を書くことになると、大学から資金をもらって、本を書く。本が一冊も売れなくてもベストセラーになってもあまり関係ない。

だから、現代では教授が大学からもらったお金で本を書いている限り、小説に宇宙人とか出てきちゃっても「純文学」 のジャンルに入るわけだ。

そして、今からヤギが「ライ麦畑で捕まえて」並みの文学的価値のある小説を書いて出版しても、ヤギが教授でもなく、大学から資金ももらっていなければ「ポピュラーフィクション」になってしまう。

へんな話だよなぁ。

ヤギは英語の「ポピュラーフィクション」はあまり読んだことがない。ハリーポッターは小学生の時に頑張って一冊目を読んだが、あまり魅力を感じず二作目以降は読んでいない。子供の時に読んだ本といえば、大草原の小さな家シリーズだ。このシリーズは大好きだったが、そもそも「フィクション」じゃないからカウントしないとして、よく考えてみると「ハリーポッター」以外ポピュラーフィクションは読んでない。

最近、とある「純文学」と名乗る小説を読んだ。あるきっかけがあって読むことになったこの本は、数年前に書かれたものだった。ハリーポッター以外では過去20年、30年以内に書かれた本はそもそも読んでいないことに気がついた。最近の純文学はどんなものなんだろうと思いながら、その本を読み始めた。

そしてがっかりした。

いやぁ、本当に苦痛だった。「ラノベ」は読んだことないが、「ラノベ」はこれくらい読みやすいんだろうなと思わせるくらいの読みやすさだった。内容も軽かった。厳密にいうと、小説の中で起きる出来事そのものはとても重いが、それに対するキャラクターたちのリアクションが軽すぎた。親友が死んでも高校生の女の子が妊娠しても、たいした反応がなかった。みんな次々と非現実的な行動をとるし、だんだん登場人物たちの運命がどうなろうと、ヤギはどうでもよくなってきた。

一番「ぷつん」ときたのが、ワンパターンな文章の書き方。たとえばこういうの:
She found the cookies in the jar.
と書けばいいところ、
In the jar, she found the cookies.

一ページに一回はこのタイプの文章があった。最初は流していたが、それが400ページ近く続くと本を壁に投げつけたくなる。

頑張って最後まで読んだが、なにも感動するようなことはなかった。結末も簡単に想像できた展開だったし、重要そうなことをちりばめておいて後片付けしない感じが特に後味を悪くした。適当に麻薬、10代妊娠、恋愛(と、その他人気のある社会問題色々)をごちゃ混ぜにして倫理的なことをまったく話に出さなくて、どう頑張っても感動できないやい!

どうしてこれが純文学なんだ?!

そう、大学がお金出しているからだ。それだけなんだ。


*実際には投げてません

そうそう、面白いことがもうひとつ。ヤギはこの「純文学」の仕組みは比較的最近まで知らなかった。教えてくれたのは、この最悪な本を書いた作者だった。

皮肉な話だ。

Sunday, June 2, 2013

ヤギさん読書

東野圭吾の「さいえんす?」を読みました。「あの頃僕らはアホでした」でもそうだったが、途中、一、二チャプターほど意味が分からずちょっと頑張って読まなきゃいけないところもあった。「アホでした」では、ウルトラマンとかのことを熱く語られてもちょっと困ったし、「さいえんす?」もオリンピックの具体的な話とかも根性で読みました。

でも、やっぱり読んでいて安心します。読んでいてマジで吹いたりしてます。色々な意見を書いていたりすると、「そうだよそうだよ」とか「なるほど」と思うこともたくさんあります。

それにしても、「さいえんす?」を読み終わってちょっとほっとしていることがあります。

それは手汗。

ヤギは手汗が結構出ます。

「さいえんす?」はわりと薄い本で、ちょっと古くて、ヤギの手汗で台無しにしてしまうんじゃないかと心配しながら読みました。無事傷つけずに読むことができて、嬉しいです。手袋も試してみたが、確かに手汗の問題は解決するがページがめくりにくく、逆に破いてしまったりシワにしてしまう危険性が出てくる。

とりあえずは手をよく拭きながら読むのが一番だという結論にたどりつきました。

いったいどんだけの汗なんだ、と思うかも知らないが、 うーん、出るんです。どちらかというと「手汗出るな」と思えば思うほど出てしまって、いちばん出てほしくないときほど大量発生するような気もする。

それはさておき、ヤギが初めて日本語の小説を読んだのは確か高校3、4年(日本の高校2、3年)の頃だったと思う。読んだのは東野圭吾の「どちらかが彼女を殺した」。初めて読む小説としては難しすぎたんじゃないかと思う。そもそも内容が難しいし、読み慣れない言語は読むのが遅いし要求される集中力が半端ない。それまでは、東野圭吾の短編をぽつりぽつりと読んでいた。「超たぬき理論」とかも、短編なのに長編を読んでいるかのような意気込みで読んでました。

でも最近は結構普通に日本語(東野圭吾限定だが)が読めるようになった。

なぜ一人の作家限定か?

そもそもヤギは「本の虫」なタイプではなく、むしろ「本読み=学校の宿題」という概念にとらわれていた。学校の国語の授業では次から次と本を読んで、論文書いて、読んで、書いての繰り返しだった。 だけど、ヨコみたいに身近に本が大好きな人種がいたために、会話に出てくるちょっとした話で「うーん、この話もっと知りたい」と思うようになった。「知りたい」と思った話が全部、東野圭吾の小説だった。

ヤギはずるいから映画化・ドラマ化されたものをなるべく見ているが、映像化されていないのでやっぱりどうしても知りたい話はたくさんあった。第一位が「どちらか」と「私が彼を殺した」。そこから「放課後」、「仮面山荘殺人事件」、「同級生」、と次々読むようになった。

映像化されたものを見ちゃったらもういいや、というわけでは決してない。たとえば、「レイクサイド」。映画を見たときは「こんなはずじゃない」と思い、すぐに原作を読んだ。そして感動すべき原作の「レイクサイド殺人事件」を読んだあと、「ちゃれんじ?」でその小説が書かれたいきさつを知り、ちょっとがっかりした。

これからも、頑張ってもっと本を読みます☆

Saturday, June 1, 2013

さくらんぼの顔

色々の果物の旬になってきてます☆
おいしいものをたくさん食べるのを楽しみにしているヤギです☆

ヤギの一番好きなフルーツはやっぱりチェリーです。このあいだ買ったチェリーをガツガツぽつりぽつり食べていて、ふとお皿の中を見たら:



なんと、顔になってた!
(いやいや、本当にこうだったんす。わざととかじゃない。)

そしておやつにもフルーツタルトがおいしいです☆


なになに?ただの食べ物自慢?
いえいえいえいえいえ。

ヤギはただ...

...


うん。自慢してるだけかも☆ おいしかったでしゅ。